平成11・12年度上越教育大学研究プロジェクト報告書
上越教育大学幼児教育講座『地域における子育て支援に関する基礎的研究』(平成13年3月)所収

ジェンダー論と日本の労働政策

木村 吉彦



はじめに―基本的な問題意識

 小論における私の基本的な問題意識は、次の5点である。
@ジェンダー(社会的・文化的な性差)のもとになる考え方はどこからきているのか。
A男性にとっての問題も含めて、仕事と子育ての両立が難しいのはなぜか。別の言い方をすれば、とりわけ出産後の女性が外で働きにくいのはなぜか。
B賃金の男女格差の原因はどこにあるのか。
C日本の労働政策そのものが性別役割を前提につくられているのではないか。
D「男女共同参画社会」実現に向けて日本の労働政策はどのように変わりつつあるのか。

T.「フェミニズム」から「ジェンダー」へ

1.フェミニズムからジェンダー論へ

 英語のfeminismは、ラテン語のfeminaから派生した語で、もともとは「女性の特質」を意味していた。その後、1890年代になって、女性の権利を主張する運動をさして、ウーマニズム(womanism)に代わって用いられるようになった。類語に「女性解放( women's liberation)があるが、これは、1960年代アメリカで、後にラディカル・フェミニズムと呼ばれるようになるフェミニストが登場したとき、彼女たちが自分たちの運動を称して使った言葉である。「解放」という用語は、第三世界や黒人の解放と女性のそれを同一視することから生まれた。当時「解放」という語が絶大な支持を得ていたことから一般に浸透したが、今日では、フェミニズムという言い方の方が一般的である。
多くの辞書で一般に、フェミニズムは「男女平等の信念にもとづいて女性の権利を主張すること」と定義されているが、実際にはフェミニズムとは何かという定義自体が様々なフェミニズム理論の諸立場の綱領的宣言という意味をもっており、合意が成立しているわけではない1)
 現在、ラディカル・フェミニズムからリベラル・フェミニズム、マルクス主義フェミニズム、近年のポストモダン・フェミニズムまで、分析方法も解放のビジョンも全く様々な諸理論が展開されている。ごくおおまかには、男女の性差の解消の方略の模索から、男女の二項対立図式を前提とした上での女性文化と女性性の価値の称揚へ、さらにはポストモダン理論の影響下における二項対立図式の脱構築の企図へと、諸理論の変化傾向をたどることができる。
 フェミニズムからジェンダー論への流れとは、女性の解放から女性論へ、そして男女の関係論・関わり論へと変化してきたものであると私は捉えている。つまり、「性差とはつくられたもの」であるから、「男女の関わり方もつくられたものであるし、つくることのできるもの、つくりかえることのできるもの」である、という発想に論点が変ってきているのである。

(1)「ジェンダー」の登場
 フェミニズムが「セックス」に代わって「ジェンダー」という聞き慣れない用語を持ち込んだのは、1970年代である。それ以来、性差をめぐる議論は、大きなパラダイム・チェンジを被ることになった。「ジェンダー」はもともと性差を表す文法用語であるが(例えば、ドイツ語やフランス語では名詞に男性名詞・女性名詞・中性名詞というように性別がある)、70年代のフェミニズムは、変えることのできないとされた性差を相対化するために、この用語をあえて持ち込んだ。今日、フェミニズムの中では「セックス」は「生物学的性別」、「ジェンダー」は「社会的文化的性別」を指す用語として定着している2)
 「ジェンダー」という用語は、性差を「生物学的宿命」から引き離すために、不可欠な概念装置としての働きをした。もし、「性差」が、社会的・文化的・歴史的につくられるものであるなら、それは「宿命」とは違って、変えることができる。フェミニズムは「女らしさ」の宿命から女性を解放するために、性差を自然の領域から文化の領域に移行させた。その結果、フェミニズムの有名な標語、性差は「生まれか育ちか?(By nature or by nurture?)」が登場した。フェミニストであるための第一の条件は、この問いに対して「性差は育ちの結果である。」と答えるところから始まった。
 フェミニズムが第一に対抗しなければならない相手は、性差を「解剖学的宿命(Anatomy is destiny)」とみなすフロイト的な心理学説であった。フロイトによれば、性差は生まれ落ちたときにペニスがあるかないかで決定的に決まる。欲望の媒介としてのペニスは、母に向けられることで近親姦願望を産むが、同時に父親からの去勢恐怖によって、母子分離が行われる。息子は父親と自分を同一化することで母に対する欲望を他の女性に置き換える。この過程で父親の介入は社会的な規範意識の代行者として機能する。こうして「父の声」は、「超自我」として内面化される。これが「エディプス・コンプレックス」と呼ばれる心理機制である。
 だが、女児はペニスを持たないことであらかじめ去勢されて産まれてくる。あらかじめ去勢された存在を、あらためて「去勢恐怖」で脅すことはできない。従って、女児は男児と違って母子分離のための契機をもたず、超自我の形成もされない。そのために女性は男性に比べて倫理的に劣った存在とされる。
  このような、フロイトの「解剖学的宿命」からの解放を目指してフェミニズムは苦闘したのであった。性差は、解剖学的にも生理学的にも否定しようのない事実としてそこにある。だが、個々の人間が男または女として生きることを決定づけるのは、生物学的な性差(セックス)ではない。それは、社会的・文化的な性差(ジェンダー)である。「性同一性障害」に悩む人たちがいることからも分かるように、生物学的な性差(セックス)も、社会的・文化的な性差(ジェンダー)を決める要素の一つである、と捉えることが妥当であろう。

(2)「ジェンダー(gender)」の意味
 いかなる概念の創出にも、その背後にはその概念を生み出した「問題」ともいうべきものがある。すなわちそこには、その概念を創出することなしには描き出せない「現実」があるのであり、そのような新たな「現実」を描き出そうとすることは、当然にもその概念を創出する以前に描かれていた「現実」に対抗することである。従って、そこには、棄却される「現実」と新たに構成される「現実」という複数の「現実」が存在する。並立する複数の「現実」間のせめぎあいを問題と呼ぶならば、ジェンダーという概念は、いくつかの区別しうる「問題」を背景に創出され、使用され、また批判されてきた。ここで言う問題とは、異なる「現実」のせめぎあいとして記述しうる。そのような問題を把握するために最も重要なことは、その概念が何を対概念として、あるいはどのような概念集合の中で使用されてきたのかということである。このことに留意しながら、ジェンダーという概念の背後にある「問題」を区別すると以下の3つの意味を持つ概念として把握することができる3)

@性別の自然的一元的把握vs性別の「自然/文化」という二元的把握
 これは、セックス/ジェンダーという対概念におけるジェンダーの意味内容である。これは、つまりは性別の起源に関する問題である。性別を、生得的なものであって最初から「決まったもの」とするか、性別あるいは性別役割とは、「社会的・文化的につくられたもの」とするか、によって世界の理解の仕方が全く違ってくる。

A自ら「普遍的」な「知」であることを主張する「人間」概念に基づく世界観
         vs世界観には「性別」があることを主張するフェミニスト的世界観
 これは、人間/ジェンダーと言う対概念におけるジェンダーの意味内容である。従来、一般論としての「人間」とは「男性」を指していたとして、不平等な社会を糾弾する意味合いを込めて使われている。具体的には、作家と女流作家、棋士と女流棋士、警官と婦人警官等の区別を考えてみればよい。女流作家という対概念があることを考えれば、一般的な言い方としての作家とは、前提として「男性」であることになる。ここには既に「男女不平等」がある、というわけである。

B性別という軸に基づく社会理論
             vs性別という軸をいくつかの軸の一つとして置く社会理論
 これは、「性別」/「性別秩序」という対概念におけるジェンダー、あるいはジェンダー/階級/人種・エスニシティ(ethnicity=民族性)/セクシュアリティ等の概念群におけるジェンダーの意味内容である。「性別」をキーワードとして社会分析をする立場と「性別」を数ある視点のひとつとして社会を分析しようとする二つの学問的立場があり、社会学の問題である。

(3)我が国におけるジェンダー概念の背後にある問題

@「三従の教え」と良妻賢母主義の教育
 我が国においては、第二次世界大戦前の「家父長制」のもとで、女性たちは「三従の教え」に従い、良妻賢母であることを求められていた。「三従の教え」とは、「幼くしては父に従い、嫁しては夫に従い、老いては子(もちろん息子)に従え」というものである。また、良妻賢母とは文字通り、良き妻・賢い母として家庭の家事・育児一切を切り盛りし、外で働く夫を支えなさい、というものである。女性には「内助の功」が期待され、まさに「家内」であることが求められたのであった。またこの「良妻賢母」主義は、女子教育の基本方針として女子中等学校の学校教育目標として掲げられた。

A高度経済成長を支えた労働政策
 第二次大戦後はどうであろうか。後に詳しく検討するが、日本の高度経済成長を支えた労働政策の基本は 「男性世帯主を本来の労働者とみなしての雇用労働政策」であった。この政策では、女性はやはり「家庭を守る者」として前提されており、女性の社会的労働と男性の家事分担は想定されていなかった。

B「母子関係論」の誤った受け入れられ方
 「母子関係論」とは、イギリスの精神分析医ジョン・ボウルビィ(Bowlby,J. 1907-90)がWHO(世界保健機構)に報告した論文「母性的養護と精神的健康」(1951)において展開された論である。ボウルビィは、ホスピタリズム(施設病)の子どもたちへの治療経験から、人生の最初期における「母親を代表とする特定の養育者と子どもとの関係のあり方」を再検討し、施設保育の見直しを唱えた。その結果、彼は、生育歴を重視する考え方や人間の「基本的信頼」形成にとっての初期教育の重要性を実証してくれたのであった。
 しかしながら、この「母子関係論」は「母性」とか「母性愛」のみが着目され、個人主義の伝統の強い欧米においてすら、「母親」へのプレッシャーが強まった4)。一方、母親がいわば「神格化(?)」されている日本では、「母を代表とする特定の養育者」が「母」として読み替えられ、世間に受け入れられていった5)。このことが「母性(本能)神話」、「三歳児神話(三歳までは母の手で育てることが最も望ましいとする考え方)」を生み出し、戦後にも引き継がれた固定的な性別役割分業の考え方を補強する結果となってしまった。これらの現実が、現在国家を挙げて取り組もうとしている「男女共同参画社会」実現の妨げになっている、と言わざるを得ない。
 「男女共同参画社会」実現に向けて、厚生省(当時)も、平成10年度『厚生白書』の中で「三歳児神話には、少なくとも合理的な根拠は認められない」と述べ、「ジェンダーフリー」の発想の必要を説いている。また、サルの研究などから「動物や人間の場合に”母性本能”によって当然とると考えられる行動様式を、彼女ら(=母親なしに成長した母親ザル…引用者注)に期待することは無駄であった。6)」という報告もある。「霊長類には『母性本能』と呼ばれるような『本能』はない」とも言われている。結論として言えることは、乳幼児期における母性的愛情の必要については定説と言えるものはない、 ということである。

C母性原理と父性原理
 河合隼雄は、『昔話の深層』のなかで「母性原理」「父性原理」という言葉を用いて昔話の分析をしている7)。 また、河合は別の箇所で「母なるもの」「父なるもの」という言葉を用いて、この二つの「原理」の中身を示すと考えられる内容を次のように説明する8)
○母なるもの:
  すべてを包み込み、養い育てる機能をもつ。一体化するはたらきをもち、すべてのものを区別なく包み込む機能をもつ。優しさ・寛容・支持などを象徴する一方で、溺愛をも象徴する。産み育てる肯定的な面と、すべてを呑み込んで死に至らしめる否定的な面をもつ。
○父なるもの:
 切断の機能をもつ。物事を分割し、分離する。善と悪、光と闇、親と子、などに世界を分化し、そこに秩序をもたらす。彼は、秩序と規範性の遂行者としての権威をもち、子どもたちが規範を守るように訓練をほどこす。厳しさ・権威・秩序を象徴する一方で、破壊や死をも象徴する。
 結局、河合は、「母なるものの、すべてのものを区別することなく包み込む機能と、父なるものの善悪などを区別する機能との間に適切なバランスが保たれてこそ、人間の生活が円滑に行われる」と述べている。
 一見もっともな話しのようにも思えるが、私たち人間は、当然ながら「包み込む」性格も「切断する」性格も両方もっている。それを「母性」「父性」とことさらに名付けてしまうこと自体、問題なのではないだろうか。「父」「母」という「性別」にしてネーミングする必然性が私には分からない。「母性原理」「父性原理」というよりは「個性原理」とした方が、私たちの実態とも一致している。私たちは、日常生活において、「男性的」「女性的」あるいはそれに類する言い方を何気なく使うことがある。しかし、このようなネーミングが既にジェンダーバイアスの産物であることを私たちは肝に銘じなくてはならない。ジェンダーバイアスへの無頓着さが、結果において、男女の性別役割を固定化させる役割を果たすことが往々にしてあるからである。

U.ジェンダーと女性の生き方

 ここに一つのアンケート結果がある。新潟県上越市における女性問題学習グループの連合体「Wake Up 上越」のメンバーに対するものである。回答者たちは、我が国の「固定的な性別役割分業意識」という現実の中で「より自分らしく生きていくこと」に対する問題意識を比較的鮮明にもっていると思われる。年代ごとにその回答内容を検討することで、日本の女性が家庭をもちつつ働くことの困難さの歴史が見えてくるようである。彼女たちの「生の声」に耳を傾けよう。

1.アンケート結果

○実施時期:1997(平成9)年7月配布・回収。
○回収の実態:回収数…26件,回収率…49.05%(会員総数53名)

T.回答者自身について
@(男性0,女性26) A(既婚24,未婚2)
B年代:20歳代…0,60歳以上〜0
    30歳代…10(専業主婦7,有職者3),
    40歳代…12(専業主婦2,有職者10),
    50歳代… 4(専業主婦1,有職者3),
C職業:専業主婦…10(うち、かつては定職をもっていた[明記]…5),
    定職[パートタイマーも含む]をもっている…16
    (うち、パートタイマー明記…7、フリーター…1)
    どれにもあてはまらない[例)学生]…0

U.今のあり方(専業主婦か有職者か)を選んだ理由
アンダーラインは、いずれも木村が引いたものである(Vについても同様)。

[50歳代]
教員になろうと思って学んだのですから、教員として生きることは当然と考えていま した。
夫を支えるために退職、夫の転勤で上越へ、その後家事・育児、その後パート。
○第2子出産により、核家族であったこと、夫の転勤が重なって退職し専業主婦になった。社会と切れている自分のあり様がたまらなく不安で、徐々に社会に出る機会を増 やしていった。現在も少ないがパートに出ている。
○@自分の収入がたとえ少額でもほしい。が、お金のためだけの勤めはしたくない
 A何か社会と結びついている実感が欲しい。B収入のためにだけ大切な時間を使いたくないし、仕事を通して生きがいを感じたい

[40歳代]
○経済的な自立をしたかったので仕事を続けた。“家計を助けるため”
○結婚のため退社したのは、夫が東京から上越にUターンしたから。つまり、退社しなければ結婚できなかったので。その頃は別居結婚など考えられなかった。子どもが少し大きくなってから、経済的理由からパートに。夫からは、家事をきちんとするように言われた。
○私は高校に進学すると、父から「女が大学に入って勉強をさせられる家の状態ではない」と反対された。それを押し切って進学高校に入り、意地でもさらに大学を目指した以上、就職の道を選ぶのは当然だったと思います。結婚ということで上越に来た当時は探しても職場が無くて、子どもが出来たとたん口がかかるという不運もありましたが、2番目が幼稚園年長の時から、再就職ということになりました。意地と書きましたが、男女を問わず、勉強でも運動でもそれなりに努力をして結果が出るものです。その結果の上で進学し、さらに資格を得、自分を磨いてきたのです。主婦が悪いのではありません。主婦こそ全能力をフル回転しなくてはできない仕事ですが、それでも人生で一番感性の高い時心血を傾けてやったことを認めてくれるものとしての職業という道もあっていいと思います。
○@職業を持つことによって社会との接点を得ることができる。A経済的安定(私の場合、自立ではない)B“会社”という大世帯の中にいれば、その中での円滑な人間関係を作り、維持していくために“人”としての努力をしていこうとすることに意義を感じる。
○女も結婚、出産、子育てしながら働いたほうがよいと、小学生の頃から考えていた。 自分の母親は専業主婦だったが、おばは教師をしながら家庭も一応しっかりやっているのを見て、私にもできるのではと思った。やはり、経済的な自立というのが大きい(女性の自立には)と思ってみていた。
○@経済的な自立を自分自身、そして実父母が望んだこと。A子どもに社会性・自主性を持たせるため、社会の第一線で働く母親の姿を見せていたかったこと。B夫の母と同居し、家族に育児をゆだねられる状況にあったこと
○子どもが3人おりますが、一番下の子が低学年まで専業主婦でした。縁あって今の職場にパートタイマーで働いて充実ある毎日をくらしております。子どもの年齢に応じて主婦が社会に参加、貢献することは、自分自身にとっても、また、家族にとっても 必要であると思います。
○@収入が無いことへの不安、A夫の父親と毎日昼食を食べることの苦痛、B仕事を通して多くの人と接触したい、と思ったこと。
○結婚後子どもが生まれるまでは結婚前の仕事を続けていたが、出産後専業主婦となる。
 下の子どもが幼稚園に入った頃より仕事をする。パート専門で現在に至っている。なぜと言うと「それしか出来ない、仕方なく」となります。年齢制限という壁にぶつかり、仕方なくと言うところです。
○働くことで自分を高めたい。
夫は忙しく、家事や育児は当然妻の仕事として双方とも考えていた。今考えると、できる範囲で仕事にたずさわっていればよかったと思う。(専)
○時代背景が今ほど女性が仕事を持つのが一般的でなく、何となく職に就かぬまま結婚して専業主婦になった。今は時間もあるのだが、ぬくぬく専業主婦をしてきたので、自分には仕事に就くほど体力も持久力もないように思われる=自信がない。よって、今は社会とのつながりとしてボランティア活動に力を注いでいる。(専)

[30歳代]
○結婚してもしなくても、将来にわたって自分を養いやすい職業を選んだ。/・特に独身を貫こうと念じているわけではなく、結果として現在結婚していない。(未)
○生きることは、自分の体や能力を使える限られた時間のことだと思う。昔はお金がほしいとか人に認められたいという気持ちがあったが、今は自分の心や体が認めること をやっていきたいと思っている。私は家庭をもっていないし、お金も今の生活を維持するほどには稼いでいないが、基本的な考え方はこれからも変わらないと思うし、その中で、結婚や仕事を決めていこうと思う。(未)
○結婚を機に退職しましたが、そのときは結婚して子どもを産んだ後、仕事に復帰しよ うと考えていました。しかし、現実的には難しく専業主婦を10年もやっていました。経済的に自立しないと男性とは対等になれないという思いから、まず初めの一歩としてパートタイマーを選びました。…40歳になる前に、これからの自分にできることを見つけて、それ以後の生き方を決められたらいいと思っています。
○かつてついていた仕事は高校生の時からなりたくて大学にすすみ、念願かなってしていた仕事だったので、結婚、出産(2人)後も続けていました。…産休あけから預かってくれる保育園もあったし、専門的な仕事に誇りをもっていたので。周囲からは子どもを預けてまで働くなんてという声もあったが、やりがいを感じていました。結局、体調を崩して仕事を辞めざるを得ませんでした。(専)
○第1子を産んだ後も2歳までは定職を持っていたが夫の転勤で退職。やめたくないのにやめざるを得なかったと言いたいところだが、実は、私の中には専業主婦になって子育てを楽しみたいという希望もあったので、仕事を辞めるのに躊躇しなかった。でも、今思うと残念!(専)
○自営業のため、どうしても主人の手伝いをしなくてはいけないので、専業主婦をしながら専従者従業員という型をとっています。
保母をしていたので自分の子どもは自分で育てたいと思った。仕事と家庭の両立は自分の力だけでは無理な状況にあった。(専)
楽だから経済的なゆとりよりも時間的・精神的なゆとりを大切にしたいと思ってい るから。(専)

V.家事・育児等に関してパートナーに望むこと・あるいは言いたいこと

[50歳代]
○家事も育児もおとなとして親として当然やるべきことです。自分のことは自分でしなさいと言うおとなが自分の食べた茶碗も洗わないのは子どもより劣ります
○家事は専業主婦が長かったのでたいして望まなかったが、育児は任せられると負担子育ては二人で責任を持つべき
○表面的には「女性」に対する理解はある方とは思うが、根本のところではやはり「男」「主人」がしっかりとある。気まぐれな家事ではなく、人間が生活していく上で必要な家事であるという理解がほしい。
○@干渉や非難はしないけれど、妻のやってることに関心と理解をもう少しもってほしい。A厳しい状況の中で勤務は大変だと思うけれど、もう少し仕事以外や社会的なことに興味・関心を持ってほしいと思います。

[40歳代]
○@家事、育児も担ってほしい。自分の子どもの成長にかかわることで自身の成長があると思う。A衣食住について自分自身を仕切ることのできる人間、家事ができることこそ、人間の自立だと思う。
手伝うという感覚ではなく、自分のことなのだと考えてほしい。
○全部半分とは言いません。家事負担の時間が夫に対して妻の時間が長すぎ大きすぎです。出かけて帰ればお互い疲れている…と思えないから自分だけ座って「あー疲れた、ビールでも飲むか!」になるのです。そこで「疲れただろう、一緒に後で片づけ手伝うから、一緒にお茶でも飲もうよ。」と言う姿を見ていれば、子どもたちも「荷物手伝おうか」になるのではなかったかしら。女にだけ家事・育児を押しつけないで
妻のたわいもない話を適当に相づちを打って聴いていてくれたらいいと思う。また、老後はいろいろな体験を共有できる関係を望んでいるし、努力したい。
○22歳、19歳、14歳に成長した子どもたちの育児を振り返って―
@育児について:夫が思春期の娘に敬遠されたのは、対等な会話ができないせいであり、これをさかのぼると、乳幼児期にしっかり育児にかかわらなかったことが遠因と、今になると思う。A家事について:「言われれば手伝う」から「積極的に担う」へと変わってほしい。
一緒に台所に立てたらいいと思う。留守の時は食事の支度はしてくれるが、いるとき は他のことをしている。時間のない中での食事の支度は大変!!
○すべてにおいて私がしてきたので十を希望することはむずかしいことです。その中でも、手出しはできなくとも、口出し・意見・話し相手にはなってもらいたかったです。私自身「男性が家事・育児するなんて」と考えていたから、女である私が、と思っていたところもありますから。
○個人的には、あなたは仕事で大変なのだから、家事・育児はすべて私にお任せくださいという気持ちでやってきた。でも、結果的にはパートナーにとってそれが子離れ(子 どものことが分からない)につながって可哀想なことをしてしまったと思った。でも、気づくのが早く、修正が間に合って、いまでは子どもたちは父親をよき理解者としている。(専)

[30歳代]
○@家事・育児をすんなりできる人、A女性を本当に”パートナー”と捉えられる人
○異性に特に望むことはない。”女だから…”ということは言わず、考えず、家事も子どもにもしなやかに接してほしいし、私もそうしたいと思う。だから、女も”男だから …”といって外に出したり、責任を押しつけたりするのは好きではない。(以上、未)
…転勤で夫の両親と同居してからは、家事に関してはほとんどやらなくなりました
私の用があるときは、子どもたちと外食するだけでなく料理を一緒にやったりするなど、生活に密着したことで時間を過ごしてほしいと思います。
○共働きをしているときは「同じく働いているのに私の方が家事、育児、雑用と多くのことをしている!助け合うのが当然だ!」といきり立っていたように思う。今は、私に時間的なゆとりができたのでかりかりすることも少なくなった。「家事も休みの時は手伝ってほしい、子どもともっと遊んでほしい。」とはっきり言うようにしている。(専)
夫は、家事・育児、実によくできる人で、子どもが乳児の頃からとても協力的でした。
しかし、無理して「よい夫」を務めていたのでしょうか?家庭というものそのものが、彼には負担になってしまったようです。(専)
○食事の支度、掃除は今のところ望まないが、最低限、洗濯物はかごに入れるとか、脱いだものはとりあえずしまうとか、人間として当たり前のことをやってほしい。(専)
もっと家事・育児を一緒にしてほしい。(専)
○食事の後かたづけなどは、私の忙しいとき、たまに頼むとやってくれるのでありがたいと思っています。自営業でほとんど家にいるパートナーですので、また、子煩悩も手伝ってか、育児にはよくかかわってくれました。これもまたありがたかったです。
○ロールプレイングをしてほしい。子どもをほめることも大事だけれど、妻のこともほめたたえるべきだと思う。パートナーの協力なしでは家事も育児も女性の負担が大きすぎてしまうもっともっと協力的になってほしい時代の流れというものを一緒に感じてほしい。(専)
○頭が上がりません。私よりもきれい好きでまめに働いてくれます。本当にありがとう。
強いて言うなら、もっと自分をいたわってください
 
こうして項目毎に年代別にまとめると、職業選択や考え方が結局年代(=その方の年齢的な課題やその方の生きてきた時代風潮)に強く影響されているように思える。後で述べる「政策意図」のなかで、ある意味「翻弄される」女性たちの姿がここにはある。

2.それぞれの女性の選び取り−設問Uの結果を読む

 概況としては、50歳代の方の場合、一大決心をして「職業人」の道へというパターンが多いように読みとれる。時代としては、結婚すれば専業主婦が当然、でも不満・不安を常に抱えつつ悩みながらも選択・決断し、勤め続けた人たちである。
 40歳代の方の場合、「女性の自立」(経済的自立・社会的自立・主婦も自立したあり方の一つ)を強く意識していることが伺える。ちょっと肩に力を入れてがんばらないと自分を維持できなくなりそうな「脆さ」も感じさせる。ちなみに、自立の中味としては、精神的自立・経済的自立・社会的自立・家庭的自立の4つが考えられるが、40歳代の方の場合、「女性にも経済的自立と社会的自立が不可欠」とする思いがひときわ強いように読みとれる。
 30歳代の方になると、「自分」を大切にしようとしていることがよく分かる。「男性と対等」は当たり前のことで、逆に、「なにがなんでもこうあらねばならない」という気負いはないように思える。40歳代以上の皆さんたちと違い、肩の力が抜けているように私には読める。

3.女はそれをがまんできない―設問Vの結果を読む

 やはり、概況を述べていこう。
 50歳代の方は、「怒り、心頭に発す」といったメッセージが多い。夫にも家庭的自立を求めているが、「のれんに腕押し」状態のようである。
 40歳代の方も50歳代の方同様、夫にも家庭的自立を求めている。単なる「怒り」というよりも家事に対する積極的な参画を求めており、要求が具体的である。一方で、
専業主婦の方は、性別役割分業を割り切って行っている。「怒り」を発する前に、諦めているのかも知れない。
 30歳代になると、まずは未婚の方は異性に対して「柔軟さ」を求めている。「すんなり」「しなやか」といった言葉遣いからも「ソフト対応」が伺える。既婚者の方では、専業主婦の場合、パートナーに対して家事・育児分担をはっきり要求している。彼女らは、40歳代の方たちのように諦めていないようである。夫婦協力のもとの子育ては当たり前であり、「がまんしない・あきらめない・はっきり言う」というように主張が明確である。夫を巻き込み、子育ては「楽しい」ものであると夫にも思わせようとしている。

V.女性労働と日本の労働政策

1.高度経済成長を支えた社会政策=大河内理論に基づく労働政策

 日本の伝統的な社会政策論を代表したと言えるのが、東京大学経済学部長から総長を歴任し、1973年から84まで「社会保障制度審議会会長」を務めた大河内一男の「大河内理論」である9)
 大河内理論に代表される日本の社会政策概念は、労働保護立法や労使関係政策を中心としており、「福祉」をきちんと包括してこなかった。この政策論では、労働政策としての社会政策が資本主義的「合理性」を持つと強調された分だけ、福祉は「経済外的な」もの、資本にとって「冗費」でしかないものと位置づけられた。大沢真理によれば、「社会政策」とは労働政策であって福祉を含まないという論理を、大河内理論に即して検証していくと、私たちは、ジェンダーが深く作用していることを見いだすことができる10)
 大河内理論によれば、社会政策とは国家が「社会的総資本」の立場から行う「労働力保全」策である。とくに産業革命期に目立ったことだが、個別資本はとかく目先の利潤を追求し、不衛生、危険な労働環境で労働者を長時間・低賃金で酷使する。資本主義経済にとっては、「労働力の保全」、つまり健康で労働意欲のある労働力が常に一定量供給されることが、死活条件であるはずなのに、それが資本の蓄積行動を通じて脅かされてしまう。そこで、総資本として国家が、「労働時間の短縮、賃金の適正化、婦人や年少者の就業の制限、作業場内における安全設備・保健衛生設備等」の「労働者保護」を図らなければならない。それが社会政策の「端緒的かつ基底的部分」とされた。
 やがて産業が一定程度発展すると、資本は「組織化された労働力」としての労働者組織を把握しなければならず、そのための社会政策が登場する。労働組合の法的承認、団体交渉権及び争議権などの保護を内容とする立法である。労働者保護法や労働組合法は、人道的見地による「保護」、あるいは労働者組織に対して資本が譲歩や妥協を行うもの、また国家が労働者を資本の支配から「解放」する施策のように見える。しかしその「本質」は、「直接の労働行程」にある労働力を保全し、資本主義経済を順調に存続させるための総資本が行う「合理的手段の体系」にほかならない。以上の労働者保護法、および労働組合の「解放立法」が本来の社会政策と位置づけられた。
 大河内の社会政策概念では、労働力の存在状態は、@「直接の労働行程」、A「一時的休止=傷病」、B「恒久的脱落=老齢・廃疾」、C「一般的危機の段階=大量失業と生活危機」というように、資本との結びつきないし資本にとっての有用性が直接的である順に識別され、@の労働力を「維持培養」し「把握」するための政策だけが、「本来の社会政策」とされる。Aに対する政策(健康保険や労災保険のような社会保険)は「副次的」社会政策に過ぎず、BCは「合理的手段の体系」としての社会政策の埒外にあった。老齢または「廃疾」は、「本来労働力政策としての社会政策の対象にはなり得ない」というのである。
大河内は、とにかく@の労働力保全こそが危ういと考え、そのための国家介入の資本主義的合理性を力説し、他方でBCへの対応を社会政策の領域外にしめだした。それは、個別資本の再現のない収奪衝動に対するペシミズムに立脚する理論であった。家事活動も労働であるとか、福祉の費用負担の一種であるといった点はおよそ論外であった。
 素直に考えれば、これは転倒した論理と言わざるを得ない。まず、資本にとっての労働力だけを考えているが、日本の就業者のうち雇用者が過半数になったのはようやく1960年代のことである。まして大河内理論が形成された1930年代には、就業者の圧倒的部分は農業を中心とする零細な自営業主と家族従業者であった。この人々の労働条件が雇用者に比べて良好であったとは言えない。にもかかわらず、大河内は資本賃労働関係に専念した。それは、資本労働賃関係こそが社会の生産諸関係の基軸であり、「社会問題」の凝集点であるというマルクス経済学的な見地−偏見によるものと考えられる。
 さらに大河内によれば、日本の状況を特に「苛烈」にしたのは、当時の産業労働力の大部分が繊維産業に働く農村出身の若い女性であり、「零細農家に対する生計補充を目的とした短期の出稼ぎ労働者」であったことである。そこでは、「身分的=権力的」な雇用関係とともに、「労働者の側における盲従と無自覚と無知が支配していた」、という。若い女性労働者と「無自覚」「無知」あるいは「無抵抗」「温順」等という形容が説明抜きに結びつけられている。逆に言えば、「階級意識にめざめ」て組織化され、労働組合政策としての社会政策の対象となる「成熟した」労働者とは、本来、男性世帯主である労働者、と考えられていたことになる。
 このように、男性世帯主を本来の労働者と見なしつつ雇用労働に固執すること、その対極にある家事労働を労働としては無視することが、社会保障や福祉を埒外に閉め出す伝統的社会政策論の根幹にあった。

2.「特殊」としての女性労働とジェンダー―女性労働と日本の労働政策

 雇用労働賃金の男女格差の原因は何なのか?そこからして、なぜ、女性は働きずらいのか。仕事と子育ての両立がしにくいのか。この問題について私は、ずっと気になっていた。この節でも、やはり大沢真理の所論をもとに、この問題について考え、日本の労働政策における「女性労働」の意味を明らかにしていきたい。
 大沢によれば、氏原正治郎は1956年の論文「女子労働者の賃金問題」で、女性労働者の賃金問題を「一般」に対する「特有」のものと位置づけた。男女は「同じく資本性社会における賃金法則一般の支配を免れていない」が、女性にはさらに「特有の諸問題」があるという。1954−55年時点で男性の平均賃金を100とした女性の賃金は、諸外国では60−70%であり、日本では45%に過ぎなかった。氏原によれば、この低賃金に代表される「女子特有の賃金問題」は、女性労働者が若年・短期勤続であることや不熟練であることによっては説明できない。氏原は、次のような相当に精緻な四段階の論理によってこの問題を説明しようとしている11)

(1) まず、第一に資本性社会一般について、女性の「雇用労働力化の条件」が論じられる。
 女性が雇用労働力化するのは、@主婦が家事時間の余暇におこなう内職的家内労働、 A未婚女性の結婚前の一時的労働、B老齢者の単純労働、の場合となり、@こそがA とBとを規定する「女子労働の原基形態」であるという。氏原はこれらの労働力が「独 立の労働力」ではないことを強調するが、次の指摘はきわめて含蓄が大きい。すなわ ち、「[女性の]生涯をとってみれば、主たる労働分野は別にあり、雇用労働は余暇利 用にすぎない」、という。女性の「主たる労働分野」として、氏原が雇用者世帯の家事 労働だけを考えていたのでないことは、理由の第二において明らかになる。

(2) 第二に、以上のような資本性社会一般の条件に「日本の特殊な条件」が重なる。それ は、農業中心に厖大な「家父長的」形態の小家族経営が残存し、女性が家族労働力の 主力を担っていることである。そこでは、自家労働の成果(収入)が「あげて家長ま たは生産手段(土地)に帰せられる」ため、女子を初めとする家族員の自家労働には 「労賃観念」が発生せず、「女子の自家労働は無償となる」、という。女性労働の供給 価格は、この無償の自家労働との比較でおこなわれるために、低賃金となる。
当時の日本でとりわけ大きかった賃金のジェンダー格差は、こうして説明された。前 節で見た大河内の「繊維産業出稼ぎ型」論との比較では、農業経営内のジェンダーと 世代による権力的関係(”家父長制”)が強調されただけに、そこから供給される女性 労働者を直ちに無自覚、無知と見なすようなセクシズムは払拭されている。

(3) 第三に、労働力を需要する「資本の側の要因」も見逃せない、という。その語は用い ていないながらも「性別職務分離」が語られている。資本は、安価な女性の雇用労働 を求めるが、「ほとんどの場合に男子と女子を差別」し、職務を分離する。その「根本 は、女子を永久に家庭労働につなぎとめ、その雇用労働を家計補充的にとどめておく ことが有利だからである」。

(4) 最後に第四の理由は、(歴史的には)女性の労働組合組織率の低さと組合内部での発 言力の弱さに示される女性の賃金取引力の弱さ、であった。
 以上が「女子特有の賃金問題」である。では、「賃金法則一般」とはどのようなものであったのか。1950年の論文「男女同一労働同一賃金」のなかで、氏原は次のように解説した。
国民経済全体から考えて、賃金が「労働力の価値」であり、総体として労働者の生活を支える生活費をまかなわなければならないということが「生活賃金原則」である。ここで生活とは労働者一人だけのものではなく、「家族を含めての生活」を言う。ただし、この「家族」の構成について氏原は踏み込まない。単に「生活保償費用」が「子弟子女」の扶養と教育の費用をも含まなければならないと述べたにとどまる。
 それはジェンダーに対して中立的な、「一般」的な議論であるかのように見える。しかし、「子弟子女」を産むために必要と思われる「配偶者」はいったいどこにいるのか。「生活を支える」行為として家事労働を考えなくてもいいのか。このように、配偶者や家事労働をブラックボックスに入れた賃金論は、氏原の独創ではなく、マルクスの「労働力の価値」規定を踏襲している。この種の議論で家事労働を配慮する必要が意識されていないということは、次の点を強く示唆すであろう。すなわち、「一般」として語られるジェンダー抜きの「労働者」は、実は、人間の生活に不断についてまわる家事労働の負担を妻に転稼した男性世帯主というきわめて「特殊」な存在に過ぎないこと、これである。
 大沢によれば、1950年代の氏原の「女子労働論」は、相当に緻密であり含意も大きかった。しかし、女性のみを「特殊」とし、従ってまた暗黙の内に男性を「一般」とする構図は論証されたとは言い難い。なによりも、家事労働や家庭責任をもっぱら女性が担う理由、「家父長的」家族経営において女性が家族労働力の主力となる理由が、与件として理論の外側に放置されている。つまり、ジェンダーを前提にしながら視野からはずしている。「女子特有の賃金問題」を展開する上で、ジェンダーが決定的に重要な役割を与えられたことからすれば、理論の内に組み込まれなかったのは致命的な欠陥と思われる。

W.「男女共同参画社会」時代の労働政策

かつての大河内理論は、男性世帯主を本来の労働者と見なしつつ雇用労働に固執し、その対極にある家事労働を無視するというバイアスをもち、社会保障や福祉を「経済外的」なものとして社会政策から閉め出した。家事労働や家族従業者の労働が無視ないし軽視されてきたことは、それらの労働がもっぱら女性によって担われている実態と無縁とは考えられない。方法的セクシズムとも言える。
 「福祉見直し」を見直し、社会政策を抜本的に再構築する課題は、1990年代の後半に持ち越された。あまりにも男性雇用労働者中心の労働概念を組み替えること、つまり、労働のジェンダー化なしにはとりかかることすら不可能な課題として、である。

1.社会保障制度審議会の95年勧告−「福祉見直し」の見直し

 総理大臣の諮問機関である社会保障制度審議会(隅谷三喜男会長、当時東京女子大学長)は、1995年7月に『社会保障体制の再構築−安心して暮らせる21世紀の社会を目指して−』と題する「勧告」をおこなった。1949年の審議会発足以来、3度目、33年ぶりの「勧告」である。注目に値すると思われるのは、この勧告が、社会制度を「男女平等の視点に立って見直し」ていく必要を繰り返し指摘すると共に、「社会保障と経済」の項で、社会保障の費用負担について、いわば影の部分も含めてトータルに捉えていることである。
 従来、大蔵省(当時)を中心とする日本政府は、社会保険料負担と租税負担の合計を「国民負担」と呼び、その国民所得に占める比率を「国民負担率」と称してきた。厚生白書などから明らかなように、社会保障を充実するという意味で「高福祉」にすると「高負担」が避けられず、経済の活力を損なうと警告しつつ、日本が世界有数の超高齢化社会になる21世紀前半にも、国民負担率を50%以下に抑えることを、最優先の政策課題としてきた。
 と言っても、社会保障・福祉をめぐる日本政府の言説は、こうした立場で一貫していたわけではない。高度経済成長期の政府は、実績はともかく理念としては、西欧・北欧の福祉国家に追いつくことを目指していた、と言える。高度経済成長末期には、「成長よりも福祉を」「生産よりも生活を」といった世論が高まり、田中角栄内閣のもとで1973年に、社会保障・福祉を拡充する一群の立法に結実した。この年を「福祉元年」と呼ぶ。しかし、同年秋には第一次石油危機が起こり、その後の不況と低成長のもとで「成長よりも福祉を」の世論はあっけなくしぼんだ。福祉を批判的に再検討するという意味の「福祉見直し」が合い言葉になり、追いつくべき模範だった先進福祉国家が避けるべき「前車の轍」にされ、日本の「良さと強み」を最大限に生かした福祉社会づくり−「日本型福祉社会」が喧伝されるようになった12)
 そうした「福祉見直し」以来の福祉国家観が、前述の95年勧告では、ようやく「見直し」の対象になった。社会保険料と租税は「国民負担」ではなく「公的負担」と言い直され、「国民生活を安定させるための費用」の一部に過ぎないことが指摘される。まさしく国民の負担と呼ばれるべきなのは、公的負担に企業負担と個人負担を加えたものであり、しかも、公的負担の高低と私的負担(個人負担と企業負担)の高低は逆相関するという。95年勧告は、「本来、…公的負担だけが前もって給付水準と切り離されて数量的目標として決定できるわけではない」と述べる。朝日新聞の社説(1995年7月5日付け)が特徴づけたように、「言葉はおだやかだが、これは、…12年前の臨時行政調査会の答申以来の政府の路線に反省を迫るもの」、と言える。
 「国民負担率の抑制」路線は、租税や社会保険料以外の回路と方法で、個人や企業が、生活を維持安定させる費用を負担している事実を無視する論法にほかならない。とりわけ無視されてきたのが、金銭支払い以外の負担であった。95年勧告は、個人負担には金銭負担ばかりでなく「家族による扶養、介護、育児等の負担」が含まれることを明言している。「扶養」のなかには、金銭的な生活費の負担という面(経済的扶養)もあるが、実際に家族のために物資を購入し・食べさせ・着せるという世話の面(事実的扶養)が相当の比重を占める。これら”家族による事実的扶養と介護・育児”の圧倒的部分は、女性によって、何の金銭的報酬もなしに担われてきた。主として女性が・家庭で・タダでおこなうこれらの活動は「生産」の対極にある「消費」、「労働」に対する「非労働」とされてきた。もっぱらこれらの活動に従事し、金銭収入を持たない女性たちは、今なお、税制や社会保険制度の上で、扶養する主体ではなく、される客体(被扶養家族)と位置づけられている。
 社会保障制度審議会の95年勧告は、なかば言外に、そうしたパラダイムの組み替えを求めていた。福祉のジェンダー化と重なり合う労働のジェンダー化が、その背景にある理論なのである。

2.男女共同参画社会基本法

(1)男女共同参画2000年プラン
 1996年12月には、国連の第4回世界女性会議で採択された「行動綱領」(1995)を受けて「男女共同参画2000年プラン−男女共同参画社会の形成の促進に関する平成12年(西暦2000年)度までの国内行動計画」が策定された。このなかにおいてはじめて、男女共同参画社会とは「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意志によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に、政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」であることが明確に定義された。「200年プラン」には、このような社会を実現するために平成12年度までに実施すべき具体的施策として4つの基本目標と11の重点目標が掲げられている13)
 その中で、特に私が注目するのは、「女性が従事している無償労働の数量的把握の方策及び社会的評価についての検討」である。無償労働の評価については第3回国連の世界女性会議(1985)におけるNGOの陳情が効を奏し、ナイロビ将来戦略に「無償労働の経済統計」として盛り込まれた。無償労働は、「200年プラン」で初めて日本の行動計画のなかに取り上げられた。
 経済企画庁(当時)は、無償労働(家事・育児・介護・そして教育や環境保全に関わる活動)の試算をして結果を発表している。それによれば、1996年におけるGDPに対する無償労働の比率は約23%に及んだが、その84.5%は女性の働きによるものである。女性一人当たりの無償労働時間は1日平均3時間50分になるが、男性のそれはわずか29分弱にとどまっている。労働時間で見ると、有償労働は男女比65対35ながら、無償労働では10対90,合計では47.5対52.5になることを明らかにしている(総理府 1997)。結局、広い意味での「人間と社会に不可欠な営み」においては、女性は男性以上に働いているのである。このことからも、「自由な時間」の欠乏感は、有配偶フルタイムの女性労働者を筆頭に、どちらかと言えば女性の方により切実であることが見えてくる14)
 この無償労働については、家事、育児、介護などの無償労働の多くを女性が担っているにもかかわらず、評価されていないという問題提起がなされていると同時に、他方では、家事、育児、介護等の家庭責任は男女ともに担うべきであると論じられている問題でもある。現在専業主婦よりも職業をもつ主婦の方が多数となり、さらに共働き主婦の比率が高まっていくと予想される状況では、将来的には男女ともに家庭責任を担わざるを得なくなるであろう。

(2)「男女共同参画社会基本法」の成立(1999年6月)
 1999年6月23日から施行された「男女共同参画社会基本法」は、男女共同参画社会形成のための基本理念を定め、形成を総合的に推進することを目的としている。まず、第2条で男女共同参画社会の定義が述べられているが、前記の「男女共同参画2000年プラン」で述べられたものと全く同義なので、ここでは繰り返さない。しかしながら、ここで特筆しておきたいのは、この法律の英語名は、”Fundamenntal Law of Gender Equality”であり、直訳すれば「男女平等基本法」と訳せる、ということである15)。つまり、この法律の中心問題は「ジェンダー」なのである。
 この法律の基本理念は、@男女の人権の尊重、A制度や慣行など阻害要因の除去、B政策立案・決定への男女の共同参画、C男女の家族的責任、D国際的協力による推進、の5つから成っている。このなかで、人権の尊重については、個人としての尊厳が重んじられること、性別による差別的取り扱いを受けないこと、能力を発揮する機会が確保されること、であると明確に定義された。阻害要因の除去に関しては、男女共同参画審議会の基本問題部会における議論において間接差別が盛り込まれるかどうかが論点の一つであった。間接差別とは、表面上は男女平等に扱っているように見えるが、どちらかの性(たいていは女性)に不利益をあたえる制度や慣行である。例えば、コース別雇用管理の総合職と一般職の中で、一般職はほとんどすべてが女性であるのは間接差別であるという議論がある。しかし、審議会の答申にも間接差別という言葉は用いられず、結局、基本法の中に盛り込まれなかった。ポジティブ・アクション(積極的参画促進策)に関しては、第2条の2「積極的改善措置」において「前号(男女共同参画社会の形成)に規定する機会に係る男女間の格差を改善するため必要な範囲内において、男女のいずれか一方に対し、当該機会を積極的に提供することをいう」と用語の説明をし、第8条において、国の責務として規定された。さらに、第9条において地方公共団体には男女共同参画社会の形成の促進に関し、国の施策に準じた区域の特性に応じた施策を策定し、実施する責務が課せられた。この規定によって、地方公共団体は今後主体的に施策を推進することが求められることになる。各地方公共団体は基本法の理念に則りこれから独自の条例をつくり、施策を推進していくことになるであろう。
 このように、1999年4月からの改正均等法の施行と共に、6月の「男共同参画社会基本法」の制定・施行によって法律面ではかなり整備されたと言えるであろう16)。

(3)「男女共同参画社会基本法」の制定の根拠と意味
この「男女共同参画社会基本法」という法制度の実現の意味は大きい。第一に、この実現の必要性の根拠は「女子差別撤廃条約」(国連第34回総会採択 1979)第2条(a)の規定にある。日本は1985年にこの条約を批准したときからこの責務を負っていた。実現した法制の内容に不十分な点が全くないわけではないが、この法制化により平等実現の政策・行動やNGOの活動などが法的根拠を得て行いやすくなったと考えられる点は評価しなければならない。今後間接差別の解消やポジティブ・アクションの推進その他「2000年プラン」に盛り込まれた多くの目標施策が、男女共同参画社会基本法を拠り所として促進されていくであろう。第二に、従来雇用の分野での男女雇用機会均等法はあったが、その他の分野についての体系的法制度は存在しなかったことが挙げられる。今回の男女共同参画社会基本法の成立によって平等実現について男女の社会生活の全分野に政策基盤をあたえることになったことは重要である。例えば、雇用の平等もこの反面にある家庭責任の平等や地域社会の活動の平等なくして実現は不可能であるし、就労に関わりなく生活する諸個人にも平等参画や平等処遇は人権の基本だからである。
 ところで、この法が真に有効性を発揮できるためには、担当責任者も含めて、関連の政策を推進する制度的「機構」の整備と担当機関ないし担当者に「独立性ある強大な権限」を持たせることが重要な条件である。権限のない機構は、改正前の均等法の機会均等調停委員会のように無力なものになるであろう17)

おわりに―小論で明らかになったこと

 「はじめに」で示した5つの問題に対して、次のような解答が得られた。

@「ジェンダー」のもとになる考え方はどこからきているのか。
人間の「性」をめぐる社会的な動きとして、「ウーマンリヴ(女性解放運動=性差別の告発)」から「フェミニズム(女性性の価値の称揚)」を経て「ジェンダー(性差=社会的・文化的・歴史的につくられたもの)」という流れが確認できた。つまり、ジェンダーとは、「性差とはつくられたもの」であるから、「男女の関わり方もつくることができるし、つくりかえることのできるもの」である、という発想に基づく「男女の関係論」なのである。

A男性も含め、仕事と子育ての両立が難しいのはなぜか。別の言い方をすれば、とりわけ出産後の女性が外で働きにくいのはなぜか。
 戦前・戦後を通じて、「男は外で働いて家計を支える者、女は家にいて家事・育児に専念し家庭を守る者」という考え方が国家政策として行われてきた結果である。これこそ、つくられた「性別役割分業」である。このような固定化された性別役割分業意識 は、「母子関係論」や「母性原理・父性原理」というような言葉遣いによる考え方の流布によって補強される結果となった。

B賃金の男女格差の原因はどこにあるのか。
 一番の要因として考えられることは、後の高度経済成長を支える日本の社会政策を決定するプロセスにおいて、戦前以来の「家父長的」形態の小家族経営が残存し、女性が家族労働力の主力を担っていたことである。そこでは、自家労働の成果(収入)が 「あげて家長または生産手段(土地)に帰せられる」ため、女子を初めとする家族員の自家労働には「労賃観念」が発生せず、「女子の自家労働は無償となる」、という。女性労働の供給価格は、この無償の自家労働との比較でおこなわれたために、低賃金となったのである。

C日本の労働政策そのものが性別役割を前提につくられているのではないか。
 全くその通りであった。日本の高度経済成長を支えた社会政策のもとになった「大河内理論」は、「男性世帯主を本来の労働者と見なしつつ雇用労働に固執し、その対極にある家事労働を労働としては無視し」、同時に、社会保障や福祉を社会政策の埒外に置くことを論の根幹に置いていた。

D「男女共同参画社会」実現に向けて日本の労働政策はどのように変わりつつあるのか。
 1999年6月の「男女共同参画社会基本法」成立によって、我が国でも男女共同参画社会形成に向けての法制度がようやく整った。法制の内容に不十分な点が全くないわけではないが、この法制化により平等実現の政策・行動やNGOの活動などが法的 根拠を得て行いやすくなったことは事実である。この法律の趣旨に添って、国や地方公共団体は男女共同参画社会の形成の促進に関して施策を策定し、実施する責務が課 せられた。今後、より積極的な施策の推進が求められている。

 以上のように、女性をめぐる社会的な動きや我が国の歴史や政策について多くの情報を得ながら、男女の性別役割の問題を考えてきた。そのような事実を前提としつつも、結局、ジェンダー問題は、一人ひとりの(個人の)「自立」のありようの問題である、と私は考える。たまたま女性として生まれた個人、あるいは、たまたま男性として生まれた個人が、社会的な「役割期待」に応える努力はしつつも、「私は私であって、かけがえのない存在」であるという人間観を基盤とし、このような「自立した個人」が2人で力を合わせればもっと個人が豊かになるし、家族が増えて3人・4人であればもっともっと一人ひとりが豊かになる、という家族観を提案したい。

1)鳥光美緒子「フェミニズム」(教育思想史学会編『教育思想事典』勁草書房 2000)pp.588-589.
2)上野千鶴子「差違の政治学」(岩波講座現代社会学11『ジェンダーの社会学』岩波書店1995 )pp.1-3.
3)江原由美子「ジェンダーと社会理論」(『ジェンダーの社会学』)pp.32-33.
4)これに対して、ヴァン・デン・ベルク『疑わしき母性愛』(ミネルヴァ書房,1972)のような本も出版され、子育てにおける「母親の特殊な立場」に疑義をさしはさむ研究もなされた。
5)子育ての責任がすべて母親にあるかのような風潮が生み出された。例えば、久徳重盛 『母原病』(サンマーク出版 1979)などである。
6)E.シュマールオア、西谷謙堂監訳『子にとって母とは何か−サルとヒトとの比較心理学』(慶應義塾大学出版会 1975)p.117.
7)河合隼雄『昔話の深層』(福音館書店 1977)p.121.
8) 同 上 書 p.33. p.158
9)大河内一男『社会政策講義T 一般理論』(有信堂 1963)参照。
10)大沢真理「労働のジェンダー化」(『ジェンダーの社会学』) pp.90-93.
11)大沢真理 同 上 稿 pp.95-98.
12)大沢真理 同 上 稿 pp.86-89.
13)詳細については、筒井清子「女性労働をめぐる世界および国内の動き」(赤岡・筒井 ・長坂・山岡・渡辺著『シリーズ<女・あすに生きる>N 男女共同参画と女性労働』 ミネルヴァ書房  2000)pp.12-15.を参照のこと。
14)熊沢誠『女性労働と企業社会』(岩波新書 2000)p.6
15石川伊織「日報を読んで 良質なジェンダー記事」(『新潟日報』平成12年9月19 日付け朝刊)
16)筒井 前掲稿 pp.16-17.
17)山岡熙子「男女共同参画の推進と新日本型雇用管理」(『 男女共同参画と女性労働』)p.43.

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