上越教育大学研究紀要第21巻第2号(平成14年3月)所収

生活科における「基礎・基本」とは何か

木 村 吉 彦
(平成14年2月6日受理)


要   旨

 小論は、これまでの「基礎・基本」論を整理・分析し、それをもとに、教科としての特性をふまえた生活科の「基礎・基本」を明らかにしようとするものである。
生活科の「基礎・基本」には次のような特徴があることが明らかとなった。
@「学び方を学ぶ」ことが「基礎・基本」に含まれる。
「具体的な活動や体験を通す」ことが学習の中核にある生活科にあっては、学習の方法や学習 のプロセスも「基礎・基本」に含まれる。生活科は、「結果重視」ではなく、あくまで「過程 重視」の教科なのである。
A「生きる力」を育むための「基礎・基本」である。
 生活科では、子どもの「課題発見」の段階から子どもが学習に関わることができる。これは、 「生きる力」の内容として考えられる「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判 断」するための力の獲得をめざしたものと言える。
B生活者として必要と思われる気付きや体得してほしい内容である。
 生活科における学習内容の「基礎・基本」は、「生活者として必要と思われる気付きや体得し てほしい内容」である。生活科の『指導要領』にある指導内容は、到達目標を内に含みながら も、学習の方向を示す「方向目標」と捉えることが肝要である。教師は、子どもがその方向に 向かって「学んでいるか」「育っているか」をみとり、子どもに学びの方向性を示しながら「学 習環境の整備」や「支援」を行うことがその役割となる。
 以上から、過程重視の「学習観」、「生きる力」を前面にすえた「学力観」、子どもを生活者と捉える「子ども観」、これら3つの特徴をもつ生活科の教科としての性格が鮮明になった。

KEY WORDS

Life Environment Studies 生活科         Fundamental Contents of Study  基礎・基本
Zest for Living        生きる力        Directional Aim              方向目標


1.はじめに

 生活科が新設されて約10年の年月が流れた。生活科がもたらした成果として、「子ども理解の重要性への再認識」「小学校教育への『体験』『遊び』の導入」「地域への着目」「子どもと共に創る授業」等いくつかが挙げられよう。これらの成果は、「学校教育に空いた風穴」として、平成14年度から本格実施される「総合的な学習の時間」導入に向けての「呼び水」的な役割を果たしている。
 一方、「総合的な(性格をもつ)教科」という特質の捉えにくさから、生活科と従来教科との違いについて、現場教師たちの中には未だに戸惑いが見られる。また、確実に身に付けたい力はあるにもかかわらず、「総合的な性格」という曖昧さや「教え込み」への危惧からか、生活科についての「基礎・基本」についてはこれまでほとんど語られていない1)
 一方、学力低下論が我が国の教育界を揺るがす中で、あらためて「学力とは何か」とりわけ「基礎学力とはなにか」、それは「生きる力」とどうかかわるのか、といった「基礎・基本」論の吟味が必然的なものとなっている。
 小論は、@これまでの「基礎・基本」論を整理・分析することを通じて、A「基礎・基本」の一般論を明らかにし、それをもとに、B教科としての特性をふまえた生活科の「基礎・基本」を明らかにしようとするものである。さらに小論は、C生活科の「基礎・基本」がもつ教育学的な意味について考えることを目的としている。
「基礎・基本」について語るという、ある意味で大それた試みを行ことは、10年間の生活科教育の総点検(文献も実践も)を行ったうえで初めて実現できるものかもしれない。しかし、このような「総点検」はもとより現在の筆者の力量を超えている。限られた文献の検討を通して、「生活科実践への指針」となりうるものとしての「基礎・基本」を提案することに、小論の問題意識はとどまるものであることをあらかじめ断っておきたい。
  

2.「基礎・基本」論の整理

1)「基礎」と「基本」
 まず、「基礎・基本」がどういうものとして論じられているのかについての確認からはじめよう。
(1)「基礎」と「基本」を分けて論じる考え方
 安彦忠彦によれば、「『基礎』とは小学校3年ぐらいまでの技能と感覚のことであり、『基本』とは高校以上にも適用される中学校までの概念と方法」のことである。このうち、「基礎」とされる「技能」の中の「知的技能」たる3R’sを「基礎学力」と見て、それをすべての人に必要なものとして強調している2)。安彦は「これまでの『基礎・基本』論は『立場の表明』であって、『時代を越えて妥当な』『基礎・基本』論ではなかった」と強調する。
谷川彰英は、「基礎・基本」の一般論として、「基礎とは、学習のベースになるもの。それがないと、その上に積み重ねられるべき学習がうまく成立しないもの」であり、「基本とは、ある一定の学習内容の中で中核的な位置にある内容」であるとしている。谷川は、この一般論をもとに生活科における「基礎・基本」を論じようとしている3)。その内容については、後に検討する。
(2)「基礎・基本」を連ねて論じる考え方
 天野正輝は、「便宜的には区別されるものの、実際の指導内容は結びついたものであるから、基礎・基本と連ねて使用することの意味が見いだせる」と言う4)。また、柴田義松は「基礎的に対立する語は『発展的』であり、基本的に対立するのは『派生的』だとみなされるが、それぞれの教科において基本的な内容を精選すれば、前に学んだ基本的内容が後の学習の基礎となる。同一の内容が、観点の相違によって、基本と呼ばれたり基礎と呼ばれたりするにすぎない」と述べている5)
このように、「基礎・基本」を論じるとき、「基礎」と「基本」を分けて論じる立場と連ねて論じる立場のあることが分かる。

2)「基礎・基本」の内容
次の私たちの課題は「基礎・基本」の内容についての論を整理し、小論で準拠する「基礎・基本」の一般論を確定することである。「基礎・基本」の内容を特定できるものとして考察する立場から、その内容についての論は次の3つに分けられる6)
(1)知識・技能のこと
「基礎・基本」の内容を「すべての学習の基礎となる読・書・算(3R's)」あるいは「国民として社会生活を営む上で必要最低限の知識・技能(ミニマムエッセンシャルズ)」などとする考え方がある7)。これは、1950年前後の「基礎学力」論争の時から言われている。
(2)学習指導要領に盛られている内容のすべて
 教育課程レベルの「基礎・基本」とは、「学習指導要領に盛られている内容のすべて」である、という見解がある。この見解は、各教科の「基礎・基本」について特集した『初等教育資料』平成12年7・8・9月号に文部省の見解として明確に示されている。従って、生活科を例に取れば、「生活科の基礎・基本は、学習指導要領・生活に示された目標及び内容であり、その中核は“具体的な活動や体験”である」ということになる8)
(3)「問題解決能力」「思考力・判断力・表現力」「関心・意欲」「学ぶ力」などの資質や能力
ここでいう「資質や能力」は、「自ら学び自ら考える力」を育成する教育観への転換を図るために、これからの「基礎・基本」にぜひ含めなくてはならないものであると思われる。これは、「生きる力」育成のための「基礎・基本」ということができる。同時に、生活科の「基礎・基本」を考える上できわめて重要な視点である、と私は考える。
天野は、基礎学力論争が「学力とは何か、国民の要求する学力とは何か、国民教育の目指す最低必要量の学力とは何か、それを可能にする内容と方法と評価、組織や体制はどうあるべきか、情意領域は学力概念に含めるべきか否かという、すぐれて教育の本質にかかわる問題に発展する契機であった」と指摘する(下線は引用者)9)
 また、中野重人は、「今次改訂で厳選された基礎・基本は、従前の基礎・基本の延長線上にあるが、ただ、その考え方にあっては、新しい視点が強調されているといってよい。それは、端的にいって『生きる力』をはぐくむための基礎・基本は何かということである。…この新しい学力観は、伝統的な学力観の否定ではなく、むしろ、これまで軽視されていた学力の観点をクローズアップしたものであるといってよい。それは、端的にいって、『関心・意欲・態度』、『思考・判断』、『表現』などを、学力の観点として重視することにあったのである」と述べる(下線は引用者)10)。新しい学力観の延長線上に「生きる力」があることは、多くが認めるところであろうし、私も同意する。その「生きる力」とは何かを考えることが、これからの教育の「基礎・基本」をとらえることになるのである。このように「基礎・基本」論争の流れを見てくると、高田喜久司も言うように、「『基礎・基本』概念は、教育内容や指導事項の基礎・基本から人間形成の基礎・基本を問う方向へとその中身がより広範になり、かつ拡大されている」ことが分かる11)
(4)「基礎・基本」とは
 以上のような「基礎・基本」論を考えるとき、まず私には「基礎」と「基本」を分けて論じる現実的な意味が見いだせない。また、時代状況をも考慮するとき、小論では「基礎・基本」の内容を「全人的な人間形成にとって必要不可欠のもの」としたい。具体的には、(3)で紹介したような「課題発見や課題解決の力・学ぶ力・思考力・判断力・表現力・関心・意欲等」の資質や能力のことである。これらの資質や能力は、後にも述べるが、「到達目標を内に含んだ方向目標」として設定され、その実現が目指されるべき内容である。
 この前提のもと、次に私たちは生活科の「基礎・基本」について、「人間形成のための基礎・基本」をも視野に入れながら考察していこう。

3.生活科における「基礎・基本」

1)生活科の「総合的な」性格 
 私は、生活科という教科において最も中核になる部分で、かつ、それを明らかにすることで「生活科実践への指針」が与えられるものを、生活科の「基礎・基本」と呼びたい。その意味では、「基礎・基本」を明らかにしようとすることは、むしろ、 自覚的に「立場の表明」である。また、生活科の「基礎・基本」を論じることは、単なる『学習指導要領』の範囲だけの問題ではない、とも考えている。つまり、きわめて教育学的な課題である「生きる力とは何か」が問われているからである。生活科は、「ねらいと内容の明示された」従来教科の性格と、今求められている「生きる力」を育む教科としての性格をあわせもつ教科であると私は捉えている。つまり、これが生活科の「総合的な性格」の内実である。このことは、生活科が、臨教審答申から始まり「総合的な学習の時間」導入に向かって進んできた我が国の教育改革の流れの中間地点にあったことを示している。
 谷川も言うように、「生活科で重要なことは、他の教科にならって基礎・基本を説くことではな」い。しかし、谷川は、生活科の「基礎・基本」は「子どもたち一人ひとりが自分なりの内容を創り上げていくことができる力である」と言う。谷川は、生活科の場合「教授内容(=教師がお膳立てして教えるべき内容)」は明確にされてはいない、とも言うが、生活科で取り上げるべき内容は8つ明示されている(『小学校学習指導要領解説 生活編』<以下『解説』と略記>pp.25-41.)。その内容を「教師が教えるべき」内容と考えるから、このようなことになってしまうのではないか。そうではなく、「子どもに学んでほしい」内容と捉えてはどうか。従来教科と同じ枠組みの中で(谷川が一般論として「基礎」と「基本」を分けたように)、生活科の「基礎・基本」を論じることには無理があると考えるべきであろう。
 ここで私は、生活科の「ねらいや内容」を(従来教科のような)「到達目標」ではなく、「方向目標」として捉えることを提案したい。教師は、それらを「教え導き、画一的にその達成をめざす内容」としてではなく、「子どもが学んでほしい内容」と捉えることが重要である。教師は子どもがその方向に向って育っているかどうかを確かめ、子どもたちがその方向へ向かっていけるような学習環境の整備をする役割を担うのだ、と捉えればよいのではないだろうか。

2)生活科の「基礎・基本」
これまで述べてきたことを前提として、生活科の基礎・基本について詳しく見ていこう。
 生活科においては、「活動や体験」を通した学習の展開が前提となるため、学習者にとっては、「学習の方法」についての学びと「学習の内容」についての学びという二側面の学びが期待できる。従来教科にあっては、どうしても「ある知識を覚えたか、ある技能を身に付けたか」という結果が強調されがちであった。それに対して生活科では、「どのようにして発見したか、気付いたか」というような、知識獲得の過程にも目を向け、その子なりの「学び方」を認め、教師はそれをていねいにみとる必要がある。
(1)「方法」面からの「基礎・基本」
これは、学習の方法つまり学習の仕方に関する内容である。
@具体的な活動や体験を通して学び方を学ぶ
 生活科においては、「学び方を学ぶ」ことが「基礎・基本」の第一に挙げられる12)。これは、「生きる力」の内容として考えられる「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断」するための前提となる「学び方の学び」である。そこでの学びには、体験に基づく実感を伴った知(知識・技能もあれば知恵と呼ぶにふさわしいものもあるであろう)」の獲得が期待できる。さらに言えば、「活動や体験を通して学び方を学ぶ」ことは、「総合的な学習の時間」はもちろんのこと、生活科以外の各教科においても、これからの学習指導の重要な要素になってくるであろう。
A「学び方を学ぶ」とは
「学び方を学ぶ」とは、具体的には次のような学び方を経験することである13)
a.対象と直接かかわることによって学ぶ
自分から直接対象に働きかけることによってこそ、対象からの反応が得られ、何かを学べるのだという実感を子どもにもたせたいものである。そして、その対象を選ぶことは極力子どもの興味・関心に任せたい。実体験の希薄な現代の子どもたちに必要な学びであろう。
b.感性や情緒(喜怒哀楽)に訴える体験を積み重ねる
これも、実体験の希薄な子どもの実態と関わる。子どもが自分のもつ諸感覚をフルに使い感性を磨き、また、喜怒哀楽に訴える情緒的な経験の機会を十分に確保したい。こうした「学び方」を多く経験することが、将来の「主体的判断力(個性的な感じ方・ものの見方・考え方)」の基礎を創ることになり、子どもの「らしさ」づくりにつながる。もちろん、究極的には「自立への基礎」を養うことへと結びついていく。
 私は、体験も知識も本来個別的で個性的なものであるという「知識観」が必要な時代になっていると考えている。これまでの学校教育では、「自分以外の誰かが必要だと考えた知識」の習得・復元にあまりに多くのエネルギーが費やされ過ぎたのではないだろうか。そうではなく、感性や情緒を揺さぶる「個性的な」学びが必要なのである。
c.学びの場を地域に求める 
 小学校低学年児童の実態からして、子どもたちにとって身近な存在へ着目し、そこを学びの場として設定することは自然な展開である。また、それが重要な学習方法である。なぜなら、地域は、社会的な諸課題の宝庫であるからである。子どもの興味・関心と教育課題の接点を提供してくれる場としての地域を、子どもに実感させることが必要である。この発想は、総合的な学習へと連続していく。
(2)「内容」面からの「基礎・基本」
 これから述べる内容は、『解説』の「基本的な視点」(p.20.)をヒントとしながら、私が実際に教室に足を運んでみとることができた、低学年児童の具体的な学びの姿をもとに列挙したものである。これらは、子どもたちに生活者として必要であると思われる気付きや体得してほしい内容である。これらは、単なる(実感を伴わない)知識や(必要に裏打ちされない)技能としてではなく、具体的な体験や活動を通して身に付けることが期待されている。そのため、あえて「知識・技能」とはしなかった。
例示の会話文はすべて子どもが語ったものである。
@自分と人や社会とのかかわり
(具体的には)ア学校・通学路・地域にある施設や人の存在への気付き
例)「がっこうには〜がある。〜がいる。」
イ施設(含学校)における人の仕事や働きへの気付き
例)「がっこうの○○せんせいは、〜してる。」
ウ施設の使い方の体得
    例)「公園では〜しちゃいけない。」
    エ人とのかかわり方の体得
例)「ルールを決めて遊ぼう。」
    オ家庭における家族や自分の役割への気付き
例)「家のお○○さんは、☆☆ではたらいてるよ。」
A自分と自然とのかかわり
(具体的には)ア学校・通学路・地域にある自然物への気付き
例)「学校には□□の木があるよ。」
イ自然現象への気付き
例)「春にはこの辺に◇◇が咲くけど、夏になると…。」
ウ自然物や自然現象とのかかわり方の体得
例)「□□のはっぱで〜をつくったよ。」
エ対象物の性質への気付き
例)「輪ゴムってよく飛ぶなあ。」「ウサギは抱くとあったかいよ」
B自分自身への気付き
(具体的には)ア学校・地域で自分が生活していることへの気付き
例)「僕のかよってる学校は☆☆小学校だよ。」
イ他者との比較による自分の「らしさ」「よさ」への気付き
例)「ぼくは・わたしは、〜がとくいだよ。〜がだいすきだ。〜ができるよ。」14)
    ウ家族のなかでの自分の成長への気付き
例)「ぼくは・わたしは、こんなに小さかったんだ。」
エ生活習慣の存在への気付きとその体得
例)「朝起きたら、顔を洗うんだよ。」
(3)「内容」面の「基礎・基本」に関する考え方
「はじめに」で述べたように、生活科では、はじめから「教え込み」があってはならない。「はじめに気付くべき内容あり」ではないからである。そのため、ここでは、特に「内容」面に関する「基礎・基本」をどのように捉えたらいいのかについて検討する。
@長期的視野に立つ
 これらの「気付き」や「体得」等は、2年間かけてゆっくり獲得すればよいと考えたい。1年生・2年生という発達段階や個々の子どもの発達の実態をよく見てから、一人一人に見合った形の獲得がなされればそれでよい、と考えて欲しい。
A子どもの「充実感」の重視
 生活科では、子どもの「自己充実感=満足感」が大前提である。とりわけ、1年生にあっては満足感が大事である。「あー、楽しかった。」「あー、おもしろかった。」というつぶやきが聞こえてくればそれでよい。それが自己満足であっても、である。低学年児童の発達特性とも関わるが、1年生児童は幼児期のなごりをかなり色濃く残している。生活科設立の趣旨として、@子どもの発達の実態に即すこと(=幼小の連続の重視)、A子どもの学校への適応の円滑化(=遊び中心の幼児教育から学習中心の学校教育への橋渡し)、の2点が大きな意味をもっていると思われるが、この二つのねらいを実現するためにも、生活科では子どもの「充実感」を最優先し、そのあとに「気付き」や「体得」を位置づけるのが妥当であろう。
B『幼稚園教育要領』の考え方の援用
 私は、生活科の内容面の「基礎・基本」として述べた諸項目に対して、『幼稚園教育要領』の「領域」の考え方を援用したい。それは具体的には、諸項目を次のように捉えたい、ということである。
a.子どもの「育ち」あるいは「学び」を捉える視点
『幼稚園幼児指導要録』(平成12年版)では各「領域」における「ねらい」のことを、「ねらい=発達を捉える視点」としている。それを援用すれば、これらの諸項目は、子どもが活動や体験を通して何を学び、どういう点で育ちが見られるかを教師が分析する視点である。到達目標として設定し、教師が一方的にその獲得を目指して「やらせ」るための目安ではない。学びの方向を示す「方向目標」と捉えたい。
ここで大事なことは、方向目標と到達目標を対立的に捉えないことである。子どもを総体として捉えて「育ち」や「学び」の方向性を確認しながら子どもをみとることが基本である。しかしながら、実際の学習場面ではそれだけではないはずである。つまり、個々の子ども一人一人を見たとき、「この子にはぜひこういう力を付けてもらいたい」という教師の願いがあるであろうし、個々の授業場面において「この授業(単元)では、クラス全員にこういうことができるようになって欲しい」というねらいもあるであろう。子どもを大きく包み込むものとしての「方向目標」と、日々の教育実践の中で子どもをみとる視点としての「到達目標」という二本立ての発想で学習活動を組み、子どもを支援していくことが重要であると思われる。bにも述べるように、単元構成や支援の視点としてこれら諸項目を捉えたいのである。
 ここで、小論に残された課題が見えてくる。
「方向目標」と「到達目標」との関係については、幼児教育と小学校教育との連続・非連続という、我が国の教育課程上の問題とかかわってくる。また、指導案レベルでは二つの目標をどう書き分ければいいのか、実践レベルでは教師の「支援」がどう変わってくるのか、評価においては「二重評価」になるのか等々、実践レベルでの問題も見えてくる。これらは、幼小連携を進める上で幼児教育教員と小学校教員との「教育観」の根幹に関わる問題であろう。この大きな課題については、今回は指摘のみにとどめ、次の論考にその考察の場を譲りたい。
b.教師の活動構想や学習環境設定に際しての「指標」
 これら諸項目は、教師の活動構想や学習環境設定に際しての「指標」でもある。具体的には、「前の単元(活動)では、主として「@人や社会とのかかわり」の項目が多かったので、次は、できるだけ「A自然とのかかわり」に関する項目が出そうな活動を考えようという方向性を持つ、ということである。この項目は、子どもの「育ち」や「学び」をみとる視点であると同時に、教師の活動設定への視点ともなるのである。
c.「気付き」「体得」は複合的に現れる
 これは、みとり方の問題である。これらの「気付き」「体得」は、実際の活動においては、まず間違いなく複合的(つまりは総合的)な現れ方をする。従って、分析の視点としては用いても、一つ一つの項目を孤立化させて考えるべきではない。教師としては、「みとり」の幅を広くとって複眼的に子どもを見ることを心がけなければならない。

4.おわりに―生活科の「基礎・基本」がもつ教育学的意味

 これまで、私たちは、「総合的な性格」をもつとされる生活科について、その「基礎・基本」とは何かを追究してきた。これまでに明らかになった、生活科の「基礎・基本」には次のような特徴があると考えられる。
@「学び方を学ぶ」ことが「基礎・基本」に含まれる。
「具体的な活動や体験を通す」ことが学習の中核にある生活科にあっては、学習の方法や学習のプロセスも「基礎・基本」に含まれる。「どれだけの知識を獲得したか」といった「結果重視」ではなく、あくまで「過程重視」なのである。
A「生きる力」を育むための「基礎・基本」である。
 @とも関わって、生活科では、子どもの「課題発見」の段階から子どもが学習に関わることができる。これは、「生きる力」の内容として考えられる「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断」するための力の獲得をめざしたものと言える。生活科の「基礎・基本」は、「生きる力」を育むための「基礎・基本」なのである。
B生活者として必要と思われる気付きや体得してほしい内容である。
 生活科における学習内容の「基礎・基本」は、「生活者として必要と思われる気付きや体得してほしい内容」である。これらを「教師が教えるべき内容」と考えるのではなく、「子どもが学ぶことが望まれる内容・これができればほめてあげたい姿」と考えることが重要である。従来教科では、『指導要領』にある指導内容は、子どもが獲得・到達すべき「到達目標」と捉えられるのが一般的であったと思われる。生活科では、そうではなく、到達目標を内に含みながらも、指導内容を学習の方向を示す「方向目標」と捉えることが肝要である。教師は、子どもがその方向に向って「学んでいるか」「育っているか」をみとりつつ、子どもに学びの方向性を示しながら「学習環境の整備」や「支援」を行うことがその役割となる。
 過程重視の「学習観」、「生きる力」を前面にすえた「学力観」、子どもを生活者と捉える「子ども観」、これら3つの特徴をもつ生活科の教科としての性格が鮮明になった。「基礎・基本」にこれらすべてを合わせもつ生活科は、まさしく「総合的」である。生活科新設から10年がすぎたが、その「基礎・基本」を問い直すことによって、新しい学校教育の方向が見えてくるのではないだろうか。

1)「生活科の基礎・基本」を真正面から取り上げたものとしては、管見する限り、次の2点である。
 @谷川彰英「各教科等における基礎・基本と内容の厳選/現状の診断と対策 生活」,高田喜久司編集『基礎・基本の徹底』,教育開発研究所,2000年,76-79頁。 
A嶋野道弘・木村吉彦・宮眞由美「特集 基礎・基本を確実に身に付ける学習指導の工夫/生活」,
『初等教育資料平成12年8月号』,2000年,18-33頁。
2)安彦忠彦「各教科における教育内容厳選の視点(中)」,高田 前掲書,26-31頁。
3)谷川 前掲稿 76頁。
4)天野正輝「『知る』こと『生きる』ことの総合をめざす」,『現代教育科学No.505』,明治図書,
 1998年,8-10頁。
5)柴田義松『学び方の基礎・基本と総合的学習』,明治図書,1998年,110頁。
6)「基礎・基本」は相対的で多様な概念であるから、その内容を客観的に特定できないという見解がある。マクロな観点からは、時代や社会の変化によって決まるし、ミクロな観点からすれ ば各授業レベルにおける一人一人の子どもに対応した個別の「基礎・基本」がある、とするも のである(高田 前掲書,9頁)。確かに、「不易と流行」という言葉が示すように、「基礎・基 本」と言えども相対的で多様なものかも知れない。しかし、私たちが人として生きる上で必要 不可欠な力はいつの時代にもあると私は考える。そしてその力を「基礎・基本」として特定す る努力に、私は意義を見いだしている。従って、相対的で特定できないものとしての「基礎・基本」は小論では考慮に入れないことにする。
7)池野正晴「新しい学力観の必要性」,『現代教育科学No.518』,明治図書,1999年,24-25頁。 田中耕治「あらためて『基礎』を問う」,『現代教育科学No.518』,明治図書,1999年,28頁。
8)嶋野道弘「生活科における基礎・基本と学習指導」,『初等教育資料平成12年8月号』,2000 年,19頁。
9)天野正輝「新たな基礎学力・学力論争を」,『現代教育科学No.518』,明治図書,1999年,35頁。
10)中野重人「生きる力こそ基礎・基本」,『現代教育科学号No.505』, 明治図書,1998年,16頁。
11)高田喜久司「基礎・基本の確実な定着と新学力の育成」,高田 前掲書,11頁。
12)嶋野道弘「生活科の学習指導の改善の視点」,『初等教育資料 平成11年9月号』,1999年,  53-55頁参照。
13)嶋野道弘「生活科の改善とその内容」,『初等教育資料平成11年2月号』,1999年,27-29頁参
照。
14)生活科においては、「自分自身についての気付き」が最も重視されなければならない。低学年児童にとっての「自立への基礎」とは、「ぼくは・わたしは、〜がとくいだよ。〜ができるようになったよ」というように、自分の「らしさ」を人前で言明できることであると私は考 えている。

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