学校図書発行「小学校教科研究 No.24」原稿

ますます子どもが好きになり

上越教育大学 木 村 吉 彦

  平成12年10月11日、山形県上山市立西郷第二小学校において生活科及び総合的な学習の公開研究会(市教育委員会委嘱)が催された。私は、足かけ三年、ほぼ一月に一回のペースで同校を訪れた。具体的な子どもの姿をもとに、先生方と共に悩み、共に学び、共に歩むことができたと内心自負している。
 この二年半の同校とのかかわりの中で、特に印象に残っているエピソードがふたつある。 
 ひとつは、今年の冬の校内研究会のとき、担当の先生が「この一年間で私は、生活科で何をやろうかと迷ったとき、とりあえず子どもに何をやりたいか聴くことから始められるようになりました。」とおっしゃったことである。この言葉を聞いたとき、私は、生活科の極意を教えてもらったと思った。
 そこで浮かんだ一句。 「とりあえず 子どもに聴こう 生活科 」
思えば、これまで日本の学校教育は、建前はともかく、実質的には「教科中心主義」もしくは「教師中心主義」で進んできた。教師の用意した課題がいつも先にあって「はじめに教科のねらいあり」「はじめに教師のねらいあり」で授業が行われてきたのである。「子どもを学校教育の主人公に」というスローガンは、理念としては掲げられても実践の場面になるとどこかに追いやられてしまう「画餅」であった。
ところが、生活科導入が大きな契機となって、「子どもの思いや願い」を中心にして学習活動を組み立てようという発想が着実に浸透しつつある。この発想を活かして授業を行うには、まず「子どもは何を考え、何を思い、何を望んでいるのか」を知る必要がある。つまり「はじめに子ども理解あり」なのである。子どもの興味・関心から学習内容を決め、単元を構成しようという提案こそ、十数年前に生活科が強調したものであった。
 もうひとつは、昨年秋の校内公開研を終えた後、総合的な学習の授業を公開してくれた先生が私にメールを下さり、そこに書いてくれたことである。「自分は、子どもの姿から教育を語ろうとして、一生懸命子どもを理解しようと努めた。そうしたら、子どもがこれまで以上に好きになった。」子どもキャッチング表を眺めて子どもたちを一生懸命理解しようとしている先生の姿が目に浮かぶ。普段クール(を装っている?)な感じの先生をしてこのように語らしめた「総合的な学習」は、やはりこれからの学校教育を変えていく力を内蔵しているな、と実感した。
 もう一句詠みたい。  「総合で ますます子どもが 好きになり」
 総合的な学習の時間は、ねらいはあるが内容は明確なものとしては示されていない。各学校の創意と工夫により独自の内容を創ることが許されたのである。これは、日本の近代教育史上画期的な出来事である。そこには、生活科によって学校教育に浸透しつつある「子ども中心主義」の発想が前提になっていることは言うまでもない。各学校が自由に教育内容を創るといっても、子どもの内面に食い込んでいかなければ「学習」は成り立たないからである。教師自身が自分の社会的な問題意識を研ぎすます努力をしつつも、「子どもは今何を学びたがっているのか」という観点をもって「今、子どもに何を学ばせたいか」を考えることが求められている。
 もう一度言おう。「はじめに子ども理解あり」、そして「はじめに子どもの学びあり」。
この発想で明日からの教育実践を見直そう。そうすれば、ますます子どもが好きになること請合いである。




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