鹿児島県生活科教育研究協議会・鹿児島県生活科を語る会
『生活科実践フォーラム VOL.9』(平成13年3月)所収

「全国からの提言」
生活科と総合的な学習
―その連続・非連続、そして学習材選定のポイント―

上越教育大学  木 村 吉 彦

はじめに
私は、幼児教育学の視点から生活科についてこだわり続けている。幼児教育学の視点とは、具体的な活動や体験を通して子どもは何を学んでいるのか、という「子どもの学び」あるいは「育ち」にこだわる視点である。「子どもの学び」を知るには、子どもの姿を知らなければならない。「はじめに子ども理解あり」も幼児教育学の視点である。実際の教室に足を運び、子どもをよく観て理解するところから「教育学」が始まると考えている。
 学校現場へ出かけると、生活科のみならず総合的な学習についても見てほしいと依頼される。幼児期から児童期を見通した「学び」にこだわる私としては断る理由はない。上越市内外の小学校はじめ、いろいろな学校にお邪魔している。小論は、私のこれまでの「現場経験」に基づいたものであり、現場の先生方から問われる頻度の特に高い課題に応えるものである。

T. 子どもの学びを連続的に捉える
−幼小連携や低・中・高学年さらには小中連携の視点−
1.(子どもの)主体性と(教師の)課題性
教育のよりよい方向を見いだし実践しようとするとき必ず問題となるのは、学習者の主体性(子どもの興味・関心、思い)と教師の課題性(教師のねらい、願い)との接点をどこに見いだすか、ということである。その解決の鍵となるのは、学習者すなわち子どもの発達段階、さらには子ども一人一人の発達課題をどうとらえるか、である。生活科と総合的な学習を連続的にとらえようとするならば、学習のきっかけづくりに際しての接点の位置は、年齢段階が低ければ低いほど子どもの主体性を優先する度合いが高くなり、逆に、年齢が上がるに従って課題性を優先する度合いが高くなるであろう。これは、「子どもの課題発見の特徴の変化」に応じた学習のきっかけづくりの視点である1)。
 図示すれば次ページのようになろう。
主体性と課題性

2.学びのIn・About・For
−子どもの学習様式の発達を意識した単元構成の視点−
「In・About・For」は、もともと、「環境教育」の分野で用いられている言葉だそうである。私が校内研修にお邪魔した学校の先生方は、これらを学習過程分析の視点にしようと苦慮しておられたが、私は大変優れた着眼であると思った。すなわち、低学年・中学年・高学年「それぞれの時期において相対的に最も大切にしなければならない課題」を言い当てている、と思ったのである。生活科と総合的な学習における「単元構成の視点」という観点から、私なりにその意味するところを図示してみた2)。考える前提として私は、「生活科のキーワード=没頭、総合のキーワード=追究」と捉えている。

              <図2 学びのIn・About・For >
学びのIn・About・For

図の中に示したキーワードは、学習過程における評価の観点としても応用できる。すなわち、「(活動に)没頭していたか」「知的好奇心・知的な興味・関心を持って関わったか」「学び方を学んだか」「他者を意識できているか」「生き方について考えることができたか」等々である。いずれにしても大事なことは、生活科・総合的な学習におけるねらいを、「到達目標」としてではなく、「方向目標(そういう方向に育っているか、そういう方向に向かって学んでいるか)」として捉えることである3)。

U.生活科から総合的な学習へ
1.生活科と総合的な学習との相違点
(1)教育課程上の違い
@生活科は教科であり、ねらいに基づく「教育内容」が定められている。 
A総合的な学習は「時間」であって、ねらいのみが示され、「教育内容」は各 学校に任されている。これは、日本の近代学校教育史上初めての出来事であ り、重大な教育政策上の転換であると私は考えている。なぜなら、全国一律 の「画一的な学校づくり」ではなく、個性的な「特色ある学校づくり」がこ の時間を中心にして実現できるからである。
(2)設立の経緯から
@生活科は、幼児教育との連携を強く意識し、子どもの興味・関心といった「子 どもの内にある課題」に目を向けることをめざして設立された。そのとき教 師にとっては、「子ども理解」が大きな課題となって浮かび上がる。
Aそれに対して、総合的な学習は、教科ごとでは扱いにくい社会的な諸課題を 中心とした「子どもの外にある課題」に目を向けさせることをねらって設立 された。この社会的な諸課題とは、同時に教師にとっても課題になるもので ある。従って、総合的な学習を実践する教師にとっては、「社会的な問題意 識を明確にもつこと」が課題となる。
(3)生活科と総合的な学習との学習材の違い
 (2)から派生して学習材を選ぶときの決め手は次のように違ってくる。
@生活科では、子どもにとって身近な存在あるいは自分自身が学習材となる。 そこでは、没頭体験、自分自身や他者への気付きが大事になる。
A一方、「総合」では、自分の外にある課題が学習材ではあるが、それを内面 化することで初めて自己課題化される。総合的な学習の時間は、子どもが社 会問題と向き合う場と時間であるが、教師の学習材選択においては子どもに とって「自己課題化」されやすいものかどうかの見極めがポイントになろう。
2.生活科と総合的な学習との共通点や連続性
 −『学習指導要領』(総則-第3「総合的な学習の時間」)の記述を中心に−  相違点を十分に意識した上で、今度は両者の共通点や連続を意識すべき点を確認してみよう。
(1)ねらい
 「つけたい力」のことである。それは、一言で言えば、「生きる力」の育成である。具体的には次の2つになる。
@子どもの課題発見と課題解決の力の育成
A学び方やものの考え方を身につけ「生き方」について考えることができる。 Aは、「自立への基礎を養う」という生活科のねらいを前提とし、それをさらに発展させたねらいと言える。これは、子どもの発達段階に対応したものと考えられる。低学年における「自立への基礎」を、私は「僕は・わたしは、〜が好きだ。〜がとくいだ。」等と人前で表明できること、と捉えている。このような力が、「僕は・わたしは〜にこだわっている。」「僕は・わたしは〜についてこう考える。」というように、発展的に子どもたちの力となっていくことがめざされているのである。
(2)学習の方法
 総合の場合、方法は「生活科の応用」と考えてよい。それは、@体験重視・活動重視とA各教科・領域との合科・関連、という2点である。
 合科とは、二つ以上の教科のねらいを同時に(1授業時間内で)満たすように実践することである。これには、若干の無理があるように私は思う。従って、合科よりも関連の方がよりスムーズに実践を進める手だてと言える。
(3)学習材
 これらは、「単元設定の目安」となる。『学習指導要領』に従えば、一般論として、@現代的な諸課題<総合では特に強調>、A子どもの興味・関心に基づく課題<生活科・総合共通>、B学校も含めた地域の特色を生かした諸課題<生活科・総合共通>の3つの視点から学習材が選定されなければならない。
 ここでも、「課題の内面化」の必要から「子ども理解の大切さ」を私は強調したい。また、私は、「子どもの身近に課題はある」と考えており、そこから必然的に「地域への着目」は導き出される。
(4)目指す方向性
生活科や総合的な学習が究極的に目指すところは、子どもの学びに着目した、各学校独自の(6年間の)カリキュラムづくりである。各学校にカリキュラムの自主編成能力が求められているのである。これが、「特色ある学校」づくりへとつながっていく。さらに言えば、私は教師一人一人にカリキュラム編成能力が求められていると考えている。平成14年度からの『学習指導要領』では、配当時間数が35で割り切れない教科・領域が現れる。今週と来週とで時間割が違うのである。そのとき、担任教師は、子どもと共に「来週の時間割」を考え、編成していかなければならない。つまり、この力が教師一人一人のカリキュラム編成能力である。

V.学習材選定のポイント
1.様々な総合的な学習の実践― 総合的な学習の3つのタイプ
私がこれまで見せていただいた「総合的な学習」には、大雑把に言って3つのタイプがある。
(1)生活科の発展としての総合
 子どもの発達(主体性)の連続性を強く意識するタイプ。子ども一人一人の課題(発見及び解決)を大切にする。
(2)教科の発展としての総合
 学習課題(課題性)の連続性を強く意識するタイプ。社会科や理科との関連などは好例である。地域の産業等を課題とし、調べ学習で学び方を学ぶ。クラス全体の課題から一人一人の課題へと降りていくケースが多い。
(3)学校行事の発展としての総合 
 地域ぐるみの活動として地域を巻き込んで展開されるタイプ。地域の方を呼び込んだ発表会のような形になる場合が多い。これまで行われていた学校行事の内容を「総合的な学習」にリメイクしたものと言える。しかし、どうしてもイベント性が強くなる。従って、「発表」に向けて学習を進めるのではなく、日頃の活動や学習の成果を地域の人に「公開」するという発想でやらないと、「生き方について考える」学習にならないおそれがある。
このように考えると、子ども(主体性)・学習課題(課題性)・地域 という3要素のどれに力点がかかるかによってその内容が決まると考えられる。
2.学習材選定のポイント―「学習材の総合性」を考える
 「知の総合化」の対極にあるものは「知の空洞化」である。つまり、「総合化された知」とは、単に各教科で取り扱えない「知識」ということではなく、ヴァーチャルでない「体験に基づく実感を伴った知(知識や知恵)」のことである。実体験に乏しく、人と関わる経験がきわめて希薄な今の子ども達にとって今必要な知識・技能(も含めていいと思う)が「総合化された知」なのである。それは、また子どもの実生活に帰っていき、彼ら・彼女らの問題解決に直接貢献するものでなければならない。
 さて、 総合的な学習による活動を仕組もうとするとき、その対象(=学習材)がいかに総合的なものであるかを考える必要があるだろう。「総合性」には、@子どもにとっての学びの「総合性」と、A教師にとっての指導(支援)の「総合性」の二つが考えられる。
 山形県上山市立西郷第二小学校6年「おお、かみよ…」実践(平成11年度)を例にして考えてみる。この学区には「高松和紙」という伝統工芸があり、一人一人が自分の卒業証書を漉いて作る実践で有名な学校である4)。
(1)子どもにとっての学びの「総合性」
A.課題設定の多様性
「紙」をめぐって様々な課題設定が可能であるかどうかを吟味しよう。
 例えば、紙の歴史(中国の蔡倫による発明等)=社会科学的なアプローチ
  紙の溶解実験=自然科学(理科)的なアプローチ
  環境問題への接近(パルプ、間伐・伐採の問題、木材の輸出・入)
           =社会問題へのアプローチ、等である。
 課題設定の多様性は、「課題の主体化」の可能性がより高いことを示す。
B.学び方の多様性
様々な学び方(の学習)が可能であるかどうかを確認する。
例えば、図書・雑誌などの文献による調べ学習、実験などによる学習やイン ターネットを利用した情報化社会対応学習、あるいは取材(地域の紙作り職 人さん等)による体験的な学習などがこの実践では可能であった。
C.活動化の多様性
@で多くの課題を設定し、Aで多くの学習方法が確保されれば、そこから 自ずと子どもの「活動」が生まれてくるであろう。ここでは、「繰り返し」 可能な活動であるかどうかがポイントになる。
(2)教師にとっての指導(支援)の「総合性」
 子どもにとっての学びの「総合性」をバックアップするものとして教師による支援の「総合性」がある、と私は考えたい。あくまで、子どもの総合的な学びを促進するための教師の支援である。
A.教師自身、多様な課題設定の見通しがつけられているか
教師自身の社会に対する広い視野と柔軟な発想が求められる。
B.多様な学び方の提供が確保されているか
 教師は、学習環境の整備をしておかなくてはいけない(文献・機材・人脈等)。
C.評価と支援の一体化
a.総合的な評価
 教師による多様な「子ども理解=一人一人のみとり」が行われる必要がある。 「子どもが発するあらゆる情報(絵・文・つぶやき・表情等)が子ども理解 の材料である」(子どもが発する表現の総合性)、という意識をもつことが 教師に求められる。また、子どもの自己評価を取り入れることも重要である。
b.教師自身の課題意識の明確さ
 教師はこの学習を通して「子どもに何を学ばせたいか」を明確に持たなけれ ばならない。子どもが活動に行き詰まったり、方向性に迷いが出た(と教師 が子どもを理解した)ときにアドバイスをして、一人一人に学習の方向付け をするのが教師の役割である。
3.生き方を考える総合的な学習―「価値ある体験」とは
新潟県頸城村立大瀁小学校5年「米米サミット」(平成11年度)の事例から総合的な学習における「価値ある体験」について考える5)。
(1)「米米サミット」(2000.2.23.)をリアルタイムで参観して…
A.体験発表の発表内容が学校によって違っていた
 大瀁小は、課題に関しての報告(後継者問題とか農薬の問題)であった。
 他の二校は、体験したことの発表が中心であった(5月・田植えをしました、 9月・収穫しました、餅をついて食べておいしかったです。等)。
B.体験発表内容の違いの意味するもの
 発表内容の違いは、分科会(課題別討論会)での意見内容の違いになって現 れている、と私は感じた。私は、農薬の是非についての討論会を参観した。 その様子は、次のようなものであった。
他の二校の児童たち6人は、異口同音に「農薬には毒が含まれており、体に 悪いので反対」という考えを披露した。少なくともその場では詳しい理由説 明はなく、私は「単純明快」であると聞き取った。後に大瀁小の担任からい ただいた資料を見ると、その二校では<米ぬか農法>や<バイオ農法>のこ とを児童が調べ、農薬なしでもやれる農業がある、という話し合いがなされ ていたことが分かった。一方、大瀁小の発表者の二人が「体に悪いのは分か るが、人手の問題・収量の問題などからやむをえず賛成」という意見を述べ た。私は、この意見はおとなにも通用する考えであると思い、感激した。も う一人の児童は、「<アイガモ農法>による農業であれば使う必要がない」 という理由で農薬使用反対を表明した。討論会に出席した地元の農業後継者 からは、「現実的には使わざるを得ず、いかに使用量を減らすかが課題であ る」旨のコメントをもらった。
C.体験を価値あるものにするために
 今回「米米サミット」に参加して、私は「体験のさせっぱなしでは、『考え』 が深まらない」ことを痛感した。もちろん、体験自体の価値の大きさは言う までもないことであるが、それと同時に「課題はなにか」を意識化していか ないと、考えがリアルなものになっていかない。教師自自身の的確な問題把 握と子どもへの「向き合わせ方」の工夫が必要不可欠ということになる。
(2)「生き方」について考えるきっかけ
 「米米サミット」における「地域の産業」問題を通して、子どもたちは「村人としてどう生きるか」「将来、兼業農家としてどう生きるか」を考えるきっかけを与えられた。担任によれば、「小学校段階における進路教育の一環として農業が職業として視野に入ったであろう子どもが少なからず確認できた…。」と言う。ここから私が考えたことは、「総合的な学習」における学習材選定の最終的な決め手は、「生き方」を考える素材となりうるか?という問題である。
さらには、体験したことを通して「その体験の意味」を考えさせる支援がなくては、児童の見方・考え方に影響を及ぼすことはできない。つまり、彼ら・彼女らが「生き方」を考えたことにはならないのである。

おわりに―これからの学校づくり
小論を閉じるに当たり、これまで述べてきたことのまとめの意味も込めて、これからの学校づくりに向けての「3つの極意」を提案したい。その前提となるのは、「 子どもを真ん中において『学校・地域・家庭』が連携を組む」という考え方である。その上で次の3つの学校像を目指したい。
@子どもから始まる学びのある学校―はじめに「子ども理解」あり。
A地域に根ざす学びのある学校―課題は地域のうちにあり。
B子どもも教師も共に学ぶ学校
 ―社会的諸課題は教師にとってもやはり課題。「共学・共生」の学校づくり。



1)主体性と課題性について、より実践的・具体的に述べたものとして、文部 省主催「平成9年度小学校教育課程研究発表大会講師講話」における拙文が ある。(『初等教育資料 平成11年3月号臨時増刊』pp.101-134.所収)
2)詳細は、新潟大学教育人間科学部附属新潟小学校研究機関誌
 『授業の研究(F・NET)第148号』(2001)を参照して欲しい。
3)これらのキーワードは、上越市立大手町小学校が提案する「学習成立の要 件としての『没頭・追求・自己表出』」との類似性を見いだすことができる。(大手町小学校『さあ 生活科をはじめましょう』<日本教育新聞社,1991>p.10 および大手町小学校『'99 研究のまとめ』<2000>p.6参照のこと)
4)山形県上山市立西郷第二小学校『公開研究発表会研究紀要』(2000)p.17
5)新潟県中頸城郡頸城村立大瀁小学校『'99実践記録』(2000)pp.52-55.

付記:小論は、平成13年1月7日に開催された「新潟県生活科・総合的学習   研究会第4回大会(長岡大会)」において行った講演の発表原稿に大幅   に加筆したものである。

謝辞
このような執筆の機会をあたえて下さった「鹿児島県生活科研究協議会・鹿児島県生活科を語る会」のご厚意に、この場を借りて心から感謝いたします。


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